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自閉圏にこにこママのブログ♪ 

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Category: 家族・男女・恋愛支援

結婚は過酷なレース 

2016/05/18 Wed.

女性抄

愛蔵版
池田大作

第三文明社

抜粋させていただきました。



「恋愛と結婚のあり方


恋愛は、さまざまの事情によって、かならずしも、結婚にいたるとは限らない。
昔は、周囲の障害によって、やむなく悲恋におわるということが多かった。最近は、若い女性の間に、みずから、恋愛は恋愛、結婚は結婚ーーーと、わりきって考える風潮が強いという。

どうやら、結婚の第一条件は”愛情”ではなく、財産や地位や名声だとする、考え方のあらわれらしい。合理的といえば合理的、近代的といえば近代的なのだろうが、なんとも潤いのない話ではある。
近代合理主義の衣の下にあるものは、結局、みにくい利己主義以外のなにものでもないのか、と嘆いた詩人がいた。

恋愛と結婚とは、それぞれ独立した、別々のもののように考えられ、それが近代的な行き方であるようにいわれているが、私は、それは誤りであると思っている。やはり、真剣な恋愛は、結婚という実を結ぶための花でなければなるまい。


それには、結婚の第一条件を、何におくかということから考え直さなければならない。
もちろん、結婚してのちの新家庭が、経済的に安定したのもであることーーー家庭内での、妻の負担が、姑などの存在により、過重にならないことを願うのは、人情としてやむをえないことであろう。

そうした、現代女性の希望を象徴して 「家つき、カーつき、ばば抜き」という、俗言の流行をみたいきさつも、理解できないわけではない。

ただ、現代女性の一般的な傾向として、結婚生活を、楽しい幸せな未来の縮図であるかのように単純に考えるところに、失望と破綻ををまねく根本的な原因があることを知る必要がある。むしろ、結婚によって、未婚時代にはなかった、新しい、さまざまな苦労が倍加すると覚悟してかかって当然なのである。

夫という男性を支え、まったく新しく、この世界に一個の家庭を築き、その中に起こる一切のことを取りしきっていかなくてはならない。
ーーー妻としての女性の、これだけの任務が、なんの苦労も払わないで果たせるとしたら、むしろ、それは奇跡といえるだろう。


よく、結婚の決まった男女に対して、人は「おめでとう」という。
結婚が、おめでたいことであるのは、ごく当たり前の常識ですらある。
しかし、それが、なぜおめでたいのか、結婚を、真に祝福すべきものとするには、本人たちのどういう心構えが、なければならないかについては、先輩たちも、あまり説明しないことが多い。

くどい言い方のようだが、新郎、新婦たる男女が、共に力を合わせて、一個の家庭をもち、そこに起こるさまざまの苦労に、みずから、身を挺するまでにいたった、その決断と成長が、めでたいという心をーーー
「おめでとう」の言葉に凝縮したのではなかろうか


この祝福の本音を知らないで、結婚を、そのまま幸福のゴールと考えるから、失望、落胆におちいり、はては互いの不満から、離婚の破局をむかえることにもなるのであろう。
したがって、これも、言葉の使い方の問題になるが、結婚にゴールインするというのも、誤解を生みやすい、適切でない表現なのである。結婚は、むしろスタートと考えなくてはならない。
しかも、夫は、妻と家庭にたいする責任、妻は、夫と家庭にたいする責任という重荷を、それぞれ背負った、過酷なレースであると、私は考えている。

しかも、独身時代には、親兄弟という貴重な庇護者が、うしろについていて、いざというときは、風雪から守ってくれた。結婚して、家庭をもつからにはーーー直接、風雪に身をさらす覚悟が絶対に必要である。
いな、今度は自分たちが、二人の間に生まれてくる子供たちのために、庇護者になっていかねばならぬのだ。
これが、結婚を考える上での、もっっとも心しなければならないポイントであると、私は訴えておきたい。

そこで、結婚の第一条件とすべき要素も、このことから必然的にみちびき出されてくるはずである。つまり、結婚生活には、社会の風雪や、内に起こるさまざまの波乱に充分耐えうる、夫妻の心と心のつながりがなければならないということだ。

夫婦というものは、いうまでもなく、もともとは、血のつながりも何もない、赤の他人である。それが、縁あって、生活の苦楽を共にし、二人の血をうけた子をもうけ、人類の悠久の歴史の中に、確固たる痕跡を残していくのである。これを支えるものは、何といっても、互いの愛情の絆でることは当然の理だ。


~~~
醜い打算や、かけひきの具に恋を利用し、美しかるべき青春時代を濁らせてしまうようなことがあては、残念なことだと思う。
~~~
不幸の落とし穴にしないためには、かならず、賢明な第三者に助言を求めるようにすることが大事であろう。

恋のために、まわりと折り合いがわるくなり、仕事も手につかなくなって、自信がいい加減になってきたら、その恋は本物ではない。
恋するがゆえに、生命が、生き生きと躍動し、仕事に張り合いが感じられ、まわりの人びとからも、いよいよ親しまれるようになったら、その恋は、本物であると考えて、まず間違いなかろうーーー

恋愛と結婚の激動は、長い人生航路のスタートである。行く手にいかなる嵐や気流の乱れがあろうと、びくともしないだけの機体整備を、飛び立つ前にしっかり、二人の力でやっておくように願いたい。

強い愛情とは、盲目的ということでもなければ、一時にもえあがる烈しい愛情をいうものでもない。
結婚生活は、どちらかが死ぬまで続くものだ。少なくとも、それを前提としたうえの、二人の結びつきが結婚というものではないだろうか。してみれば、その愛情は、生涯つづく息の長いものでなくてはならない。

また、二人で新しい家庭を築き、子供を産み、育て、社会的にも一家として責任を負うものである以上、たんなる感情のうえだけの結びつきでなく、理性的な判断のうえに立っての、相互の結合でなくてはならないであろう。

自分の愛する人が、一生を託するにふさわしき人でるかどうか、たんなる一時的な情熱だけで、長続きしない人ではないかどうか、二人で仲よく、力を合わせて家庭を築いていけるかどうか。あらゆる角度から慎重に考え、判断をくだしていくべきであろう。
そうして、あらゆる条件を考慮したうえで、もし、たがいの愛情がじゅうぶんに強いものであり、自信もあり、人々からも祝福されるものであったならば、堂々と胸をはって結婚にゴールインするのが正しい。

しかしながら、このゴールは、同時に、新しい、より責任の重い、苦労も多い、第二の人生のスタートでもあろう。そこには、さまざまの苦難や悩みが待ち受けているおるかもしれない。
恋愛時代には知らなかった一面を、相手の中に見いだすこともあろう。

このときに、深い愛情と理解をもって、たがいに励ましあい、助けあっていくことが大切だ。共に手をとりあって、一つ一つの苦難をのりこえることによって、ほんとうの愛情が生まれるともいえまいか。
そうした試練を経ない愛情は、それがいかに純粋で、烈しく、美しいものであっても、まだ、みがかないダイヤの原石にひとしいものであるといいたい。


男性について


女性が、生涯つれそっていくべき男性を選ぶにあたって、なにを基準にするかーーーといえばやはり”男らしさ”であろうか。もっと極端にいえば、女性は男性の”男らしさ”にひかれる本能をもっているのかもしれぬ。

ところで、その”男らしさ”とは、一体なんであるかなると、かなり問題は複雑であり、微妙になってくる。というのも、”男らしさ”のなかには、ひじょうに多彩な要素が入りまじっており、しかも、そのなかのどの面を強く感ずるかということは、きわめて主観的であるからだ。

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お互いを見る正しい目を養うことは、とくに大事だと思う。
女の子が、男の子をつかまえて「××クン」と呼び、遊ぶのも、体格のすぐれた女の子がボスになって支配するーーースカートとズボンの違いだけが、女の子の証拠というのでは、女らしさも、男らしさも、あったものではない。かえって男女七歳にして席を同じゅうせずとばかり、
男女がはっきり切りはなされていた昔のほうが、男子にも女子に対する畏怖心があったし、女子にも男子に対する敬意のようなものがあった。
私は何も、封建的な昔の行き方にかえれというつもりは絶対にない。

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よいところは、考え直す必要もあるのではないかといいたい。

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男には男の道があり、女には女の道がある。両方がそれぞれの特質を伸ばし、その上で結合し、助け合っていくところに、本来の人間社会の姿があるといいたいのである。

女が男性化し、男が女性化して、男か女かわからなくなり、風俗が紊乱し、道徳が崩れてゆくのは、文化の堕落とういわざるをえないと思う。あくまで、女性は男らしい男性を求めるべきであり、また、そうなることが正常であろう。それこそ自然の摂理であり、生命の正しいリズムなのである。
では一体、男らしさとは何か。バイタリティーだとか、責任感とか、大胆さとか、性格の淡泊さだとか、いろいろ要素があげられる。そして、それらはいぜれも誤りではなかろう。女性にとって、大切なことは、これらの要素を、正しくつかみ、相手の男性の人格を全体的に認識することではないだろうか。
とくに、外面の服装や、容貌などといった、上べのみに目をくらませられないことであろう。
大胆であっても思慮がなければならない。
バイタリティーがあっても、優しい心づかいがなければ、結局、あとになって泣かされるのは女性なのだ。

もとより、一人の人間に、すべてを要求することは当然、無理である。しかし、夫として選ぶ以上は、相手にどんな欠陥があり、どのような短所があるかをよく見極め、その欠陥なり、短所を、どのようにカバーしていけるかを自覚し、その自信をもったうえで、結婚に踏み切ることが大切ではなかろうか。」





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