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自閉圏にこにこママのブログ♪ 

幼児教育・自閉症療育などの失敗、成功を書いています。当ブログから得た情報をさくらいちご幼児教室・松尾香の書面による事前許可を得ずして出版・公開活動および電子メディアによる配信等により一般公開することを禁じます。(著作権)

Category: 家族・男女・恋愛支援

非暴力の世紀へ 明るい信念の一家 

2016/05/06 Fri.

抜粋させていただきました。


新・女性抄

池田大作

潮出出版



「文化の師匠の国・韓国に、ほほえましい昔話がある。
あるところに、多くの子どもを抱え、大変に貧しい一家があった。けれども、仲睦まじく、明るい笑い声が絶えない。その秘訣は何か。
裕福だが、家庭不和に悩む一人の客人が、相談にやってきた。

「どうすればお宅のように、円満に暮らせるのでしょうか?」

「いえ、皆様に、お教えできるようなことは何もないのですが・・・・・・」

ちょうどそのとき、外から叫び声が聞こえた。
「牛が畑で暴れているよ!」

一家の飼牛だ。やっとのことで、牛を取り押さえたときには、畑は、すっかり踏み荒らされてしまった。

”さあ、これからケンカが始まるぞ”

ーーー客人はそう思った。
ところが、家族は、それぞれに、

「わしが牛を木にしっかりつないでおかなかったからだ」

「いや、僕が食事をさせなかったせいだよ」

「いいえ、私が洗濯に夢中になっていたからです」

等と庇いあった。

そして、突然の災難を、皆で朗らかに笑い飛ばした。その麗しい姿に、客人も、はたと一家和楽の秘訣を悟った、
という物語である。

「成長家族」  「創造家族」という言葉が私は好きである。

仏典では、さまざまな災いも、それは、家族の信念を試みているのだと説く。
ゆえに、何があっても、未来永劫の栄光と勝利のために、希望に燃えて、勇敢に生き抜く、明るい信念の一家であれと教えている。

否応なしに、ストレスに晒されている現代社会である。わが家は、責めたり怒ったりする前に、、まず一呼吸おいて、励まし合うゆとりを持ちたい。
大きな心で包容した分、大きな力が出るからだ。」


クイズ
「他人にあげればあげるほど、自分に増えるもの、なんだ」

答えはいずれブログで。



色々な書籍も、DVの人間には当てはまらないですよ。
私たちにできることは、結婚に対する間違った理解をわかりやすい言葉で伝えていくことと、
人間らしい人間に、子どもを育てることですね。
DVをする人間に育ってほしいですか?(笑)

違いますよね。

しかし、創価学会の方であれば、どんな悩みも、今いる場所で、乗り越えられるので、乗り越えることをおススメします


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Category: 家族・男女・恋愛支援

結婚は過酷なレース 

2016/05/18 Wed.

女性抄

愛蔵版
池田大作

第三文明社

抜粋させていただきました。



「恋愛と結婚のあり方


恋愛は、さまざまの事情によって、かならずしも、結婚にいたるとは限らない。
昔は、周囲の障害によって、やむなく悲恋におわるということが多かった。最近は、若い女性の間に、みずから、恋愛は恋愛、結婚は結婚ーーーと、わりきって考える風潮が強いという。

どうやら、結婚の第一条件は”愛情”ではなく、財産や地位や名声だとする、考え方のあらわれらしい。合理的といえば合理的、近代的といえば近代的なのだろうが、なんとも潤いのない話ではある。
近代合理主義の衣の下にあるものは、結局、みにくい利己主義以外のなにものでもないのか、と嘆いた詩人がいた。

恋愛と結婚とは、それぞれ独立した、別々のもののように考えられ、それが近代的な行き方であるようにいわれているが、私は、それは誤りであると思っている。やはり、真剣な恋愛は、結婚という実を結ぶための花でなければなるまい。


それには、結婚の第一条件を、何におくかということから考え直さなければならない。
もちろん、結婚してのちの新家庭が、経済的に安定したのもであることーーー家庭内での、妻の負担が、姑などの存在により、過重にならないことを願うのは、人情としてやむをえないことであろう。

そうした、現代女性の希望を象徴して 「家つき、カーつき、ばば抜き」という、俗言の流行をみたいきさつも、理解できないわけではない。

ただ、現代女性の一般的な傾向として、結婚生活を、楽しい幸せな未来の縮図であるかのように単純に考えるところに、失望と破綻ををまねく根本的な原因があることを知る必要がある。むしろ、結婚によって、未婚時代にはなかった、新しい、さまざまな苦労が倍加すると覚悟してかかって当然なのである。

夫という男性を支え、まったく新しく、この世界に一個の家庭を築き、その中に起こる一切のことを取りしきっていかなくてはならない。
ーーー妻としての女性の、これだけの任務が、なんの苦労も払わないで果たせるとしたら、むしろ、それは奇跡といえるだろう。


よく、結婚の決まった男女に対して、人は「おめでとう」という。
結婚が、おめでたいことであるのは、ごく当たり前の常識ですらある。
しかし、それが、なぜおめでたいのか、結婚を、真に祝福すべきものとするには、本人たちのどういう心構えが、なければならないかについては、先輩たちも、あまり説明しないことが多い。

くどい言い方のようだが、新郎、新婦たる男女が、共に力を合わせて、一個の家庭をもち、そこに起こるさまざまの苦労に、みずから、身を挺するまでにいたった、その決断と成長が、めでたいという心をーーー
「おめでとう」の言葉に凝縮したのではなかろうか


この祝福の本音を知らないで、結婚を、そのまま幸福のゴールと考えるから、失望、落胆におちいり、はては互いの不満から、離婚の破局をむかえることにもなるのであろう。
したがって、これも、言葉の使い方の問題になるが、結婚にゴールインするというのも、誤解を生みやすい、適切でない表現なのである。結婚は、むしろスタートと考えなくてはならない。
しかも、夫は、妻と家庭にたいする責任、妻は、夫と家庭にたいする責任という重荷を、それぞれ背負った、過酷なレースであると、私は考えている。

しかも、独身時代には、親兄弟という貴重な庇護者が、うしろについていて、いざというときは、風雪から守ってくれた。結婚して、家庭をもつからにはーーー直接、風雪に身をさらす覚悟が絶対に必要である。
いな、今度は自分たちが、二人の間に生まれてくる子供たちのために、庇護者になっていかねばならぬのだ。
これが、結婚を考える上での、もっっとも心しなければならないポイントであると、私は訴えておきたい。

そこで、結婚の第一条件とすべき要素も、このことから必然的にみちびき出されてくるはずである。つまり、結婚生活には、社会の風雪や、内に起こるさまざまの波乱に充分耐えうる、夫妻の心と心のつながりがなければならないということだ。

夫婦というものは、いうまでもなく、もともとは、血のつながりも何もない、赤の他人である。それが、縁あって、生活の苦楽を共にし、二人の血をうけた子をもうけ、人類の悠久の歴史の中に、確固たる痕跡を残していくのである。これを支えるものは、何といっても、互いの愛情の絆でることは当然の理だ。


~~~
醜い打算や、かけひきの具に恋を利用し、美しかるべき青春時代を濁らせてしまうようなことがあては、残念なことだと思う。
~~~
不幸の落とし穴にしないためには、かならず、賢明な第三者に助言を求めるようにすることが大事であろう。

恋のために、まわりと折り合いがわるくなり、仕事も手につかなくなって、自信がいい加減になってきたら、その恋は本物ではない。
恋するがゆえに、生命が、生き生きと躍動し、仕事に張り合いが感じられ、まわりの人びとからも、いよいよ親しまれるようになったら、その恋は、本物であると考えて、まず間違いなかろうーーー

恋愛と結婚の激動は、長い人生航路のスタートである。行く手にいかなる嵐や気流の乱れがあろうと、びくともしないだけの機体整備を、飛び立つ前にしっかり、二人の力でやっておくように願いたい。

強い愛情とは、盲目的ということでもなければ、一時にもえあがる烈しい愛情をいうものでもない。
結婚生活は、どちらかが死ぬまで続くものだ。少なくとも、それを前提としたうえの、二人の結びつきが結婚というものではないだろうか。してみれば、その愛情は、生涯つづく息の長いものでなくてはならない。

また、二人で新しい家庭を築き、子供を産み、育て、社会的にも一家として責任を負うものである以上、たんなる感情のうえだけの結びつきでなく、理性的な判断のうえに立っての、相互の結合でなくてはならないであろう。

自分の愛する人が、一生を託するにふさわしき人でるかどうか、たんなる一時的な情熱だけで、長続きしない人ではないかどうか、二人で仲よく、力を合わせて家庭を築いていけるかどうか。あらゆる角度から慎重に考え、判断をくだしていくべきであろう。
そうして、あらゆる条件を考慮したうえで、もし、たがいの愛情がじゅうぶんに強いものであり、自信もあり、人々からも祝福されるものであったならば、堂々と胸をはって結婚にゴールインするのが正しい。

しかしながら、このゴールは、同時に、新しい、より責任の重い、苦労も多い、第二の人生のスタートでもあろう。そこには、さまざまの苦難や悩みが待ち受けているおるかもしれない。
恋愛時代には知らなかった一面を、相手の中に見いだすこともあろう。

このときに、深い愛情と理解をもって、たがいに励ましあい、助けあっていくことが大切だ。共に手をとりあって、一つ一つの苦難をのりこえることによって、ほんとうの愛情が生まれるともいえまいか。
そうした試練を経ない愛情は、それがいかに純粋で、烈しく、美しいものであっても、まだ、みがかないダイヤの原石にひとしいものであるといいたい。


男性について


女性が、生涯つれそっていくべき男性を選ぶにあたって、なにを基準にするかーーーといえばやはり”男らしさ”であろうか。もっと極端にいえば、女性は男性の”男らしさ”にひかれる本能をもっているのかもしれぬ。

ところで、その”男らしさ”とは、一体なんであるかなると、かなり問題は複雑であり、微妙になってくる。というのも、”男らしさ”のなかには、ひじょうに多彩な要素が入りまじっており、しかも、そのなかのどの面を強く感ずるかということは、きわめて主観的であるからだ。

~~~
お互いを見る正しい目を養うことは、とくに大事だと思う。
女の子が、男の子をつかまえて「××クン」と呼び、遊ぶのも、体格のすぐれた女の子がボスになって支配するーーースカートとズボンの違いだけが、女の子の証拠というのでは、女らしさも、男らしさも、あったものではない。かえって男女七歳にして席を同じゅうせずとばかり、
男女がはっきり切りはなされていた昔のほうが、男子にも女子に対する畏怖心があったし、女子にも男子に対する敬意のようなものがあった。
私は何も、封建的な昔の行き方にかえれというつもりは絶対にない。

~~~
よいところは、考え直す必要もあるのではないかといいたい。

~~~
男には男の道があり、女には女の道がある。両方がそれぞれの特質を伸ばし、その上で結合し、助け合っていくところに、本来の人間社会の姿があるといいたいのである。

女が男性化し、男が女性化して、男か女かわからなくなり、風俗が紊乱し、道徳が崩れてゆくのは、文化の堕落とういわざるをえないと思う。あくまで、女性は男らしい男性を求めるべきであり、また、そうなることが正常であろう。それこそ自然の摂理であり、生命の正しいリズムなのである。
では一体、男らしさとは何か。バイタリティーだとか、責任感とか、大胆さとか、性格の淡泊さだとか、いろいろ要素があげられる。そして、それらはいぜれも誤りではなかろう。女性にとって、大切なことは、これらの要素を、正しくつかみ、相手の男性の人格を全体的に認識することではないだろうか。
とくに、外面の服装や、容貌などといった、上べのみに目をくらませられないことであろう。
大胆であっても思慮がなければならない。
バイタリティーがあっても、優しい心づかいがなければ、結局、あとになって泣かされるのは女性なのだ。

もとより、一人の人間に、すべてを要求することは当然、無理である。しかし、夫として選ぶ以上は、相手にどんな欠陥があり、どのような短所があるかをよく見極め、その欠陥なり、短所を、どのようにカバーしていけるかを自覚し、その自信をもったうえで、結婚に踏み切ることが大切ではなかろうか。」





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Category: メンタルな話

自分でやりもしないで成果だけ求める愚かさ 

2016/05/19 Thu.

自分でしっかりと世話をするから、成果があったとき、嬉しいのです。
達成感があるのですよね。

何も子どもだけではありません。

畑などの農作物でもそうですね。

種をまいただけで、収穫できるわけがない。
水やり、土の管理、全て収穫までしっかりお世話をするから、やっと野菜ができるんです。
収穫する権利ができますね。



それを、自分で世話もせずに、責任転嫁や人任せでは・・・・どうでしょう。

収穫する権利もなければ、もし枯れたとき、頼んでおいた人のせいにするという、責任転嫁もすることでしょう。

そんな情けない思考はやめましょうよ。





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Category: さくらいちご幼児教室の様子

言葉を促すことはできるが衝動性、社会性の低さが残る ~子どもが物として捉えられている現代~ 

2016/05/19 Thu.

子どもの成長を、目に見えるものでしか判断・評価しない人が増えていますね。
それは、何でも儲かればいいという、教育産業の影響にもよることでしょうね。
他者の幸福まで考えていない、産業によるものですね。自分たちが儲かればそれでよいのです。
目に見えませんから、やろうと思えばなんでもできる低年齢の教育産業。


○○幼稚園 〇人合格した
〇高校 〇人合格・・・
以下同文


特に大切な幼児期などは、本当に目に見えないかと思います。教育者でしたら未だ目に見えなくても判断できますが、それでも少ないでしょう。

言葉が出ない&遅れている幼児の言葉を出してあげることは、今では難しくなくなりました。
私の周りで言うと、こういった話せなかった子が、話せるようになる・・・
嬉しいことなのですが、思い切りわかりやすい成長です
なので、それでOK!と、大切なことを見落としてしまう親御さんや、保育園・幼稚園も、多いなと感じています。

目に見えにくいのは、社会性と、衝動性の部分です。

これが、言葉より後に、残る教育科目なんです。

1歳の子が、お母さん以外のおっぱいを触っても許されるのですが、では5~6歳の子がそうした場合、どうですか?
KYになってしまいますよね。
でも、現場では、話せるからそれでいい!となってしまうところが多いです。

一番困るのは、本人です。周りも嫌でしょうが、歴史を作るのは本人なんです。
黒歴史を作るか、明るい歴史を刻むか。

ということです。

教育なしで、誰でも自然に育つのであれば、世界中から、療育という言葉も、場所もなくなるはずですよね。
なぜあるのです?理由があるからですよね。


また、「何かしていないと、育っていないと思ってしまう、待てない親御さん」

何もしていなくても、成長しますよ。むしろ、自分でゆっくりと遊びこめる、考える、草をいじくりまわす、見る、時間が必要なのです。
英語教室・バレエ教室じゃないんです。

うちの子どもは習字をしていませんが、出品すると入選はしますよ。佳作でないです。
ピアノも習ってませんが、学校で伴奏のじゃんけんにいつも負けていますよ
THEを、ジと読む時と、ザと読むときの違いは?と最近聞かれました。中一英語ですね。


人間の特性として、「欲」がありますよね。なので、真新しいものに、人はひかれるのです。
低年齢だとより、ちょっとしたものにもひかれます。
歳を重ねると、大体経験済みなので、喜び方が少なくなるんです。

なので子どもであっても、真新しい環境や物ばかり与えていると、感動が薄い子に育ちますし、もちろん自然なんかに興味はありません。夏は暑い、冬は寒い、なにをするにも文句ばかりの、おばさんのような子どもに育ちます。
自然に興味がないって、恐ろしいんですよ。学習に関係ありますからね。お金のかかる子になるということです。
小学生から勉強に躓くという結果です。おまけに運動能力も低い。


きりがないのです。
欲があるから、発展してきているのですが、そればかりではいけないのです。
要は、「欲」をどう抑制するかということと、どう付き合っていくかということが親御さんの課題となります。

うちの子どもも、園に行かず教育していたころ、何もない広場に行っても遊べないときもありましたよ。
子ども自ら、何もない広場に行きたい!といったわけではないのです。

子どもが広場をどう使うかは、周りの大人の言動によるのです。
どう、価値がある場所だということを伝えるか。自分が感じるか。
子どもを育てるということは、”自制”という意味も含まれると思っています。

好きなものを好きなだけ食べていたら、デブスになりますよね。
例えがおかしいかしら・・・
それと同じではないでしょうか?

子どもに、成長させてもらっているんですよ。
どんな子であれ、その子は、その親御さんをより幸福に、鍛えるために、居るのだなと思います。




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2016-05