[PR]弁護士検索 無料 アクセスカウンター

自閉圏にこにこママのブログ♪ 

幼児教育・自閉症療育などの失敗、成功を書いています。当ブログから得た情報をさくらいちご幼児教室・松尾香の書面による事前許可を得ずして出版・公開活動および電子メディアによる配信等により一般公開することを禁じます。(著作権)

Category: 教育観

現代に足らない教育 虹色教室通信から 過去記事 

2013/05/29 Wed.

虹色教室通信からコピペさせていただきました。


テクニックより態度と心

共同注視を誘う遊び方 1

共同注視を誘う遊び方 2

共同注視を誘う遊び方 3



↑ の記事について。、こうした内容をテクニックと捉えて実践しても、

なかなかうまくいかないかもしれません。
書いておいて、うまくいかない……とは、失礼なのですが、
なら、どうすればうまくいくのか、言葉にできる範囲で書いていこうと思います。

広汎性発達障害の子のこだわりを真似るといっても、
ただ、向こうのすることを真似すればいいというわけではありません。
その前に、子どもと表面的には見えない部分で、
心がつながりあっていなくてはならないのです。
ゆっくりと関係作りをし、小さなサインをたくさん受け取って、
「あっ、この子の中に私への興味と、
いっしょに遊びたい気持ちが芽生えているな」と感じ取って、
その次の段階で、「子どもの遊びを真似る」というテクニック的な部分があるのです。
そこには、大人の側のとても繊細な感受性が必要です。

私は多くの方々が、(親も教師も)
『子どもに対してテクニックを使う』ことに慣れすぎて、
まるで理科実験でもするような一方的なまなざしで子どもに接するために、

子どもの側にすると、対人的スキルを学ぶ見本がどこにも存在しない

ということが、発達に問題がない子たちの間にも起こっているように
感じています。

言葉でうまく伝えられるか自信がないのですが、
最近こんな出来事があったので、それから、伝えられる範囲で
このことについて話してみたいと思います。

私は長い間、ABAという名前は聞いたことがあってもそれがどういうものか知りませんでした。
ABAというのは、「応用行動分析」と訳され、
自閉症の子たちに教えるのによいとされている理論です。
何度か、知人からその名前をうかがっていたので、何冊かそうした関連の本を購入して目を通してみました。







写真は、パカパカ駆ける馬。からくりの仕掛けを教えるために作った小1の男の子との共同作品です。ストローにモールを通すことで回転する部分を作りました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ABAについての解説書を何冊か読むうち、

「こういうことって、教える上では
ごくごくあたり前のことのように感じていたけど、
わざわざ理論になっているんだな」

と、ちょっと驚くと同時に、

「子どもが良くない行動をするとき、
それを自然にやめさせる方向へ導き、
良い行動をしたときはそれを持続させる方向に導く大人の態度とか、

子どもに教えるとき、

課題とその子の今の能力の間にどのような種類のステップが存在していて、

何から取り掛かればスムーズに階段をのぼるように
必要な課題に達することができるか

わからないという方が多いのだろうな。」

とも感じました。

私の周囲には、ABAについておそらくご存じないでしょうが、、
『子育ての勘』として、
この応用行動分析で理論として展開されているような子どもへの接し方を
している方はけっこういます。

私にしても、目の前に子どもがいれば、無意識のうちに
そうした行動をとっていて、
(習ったわけではなく母性的な勘で)

それを基本とか基盤とした上で、

「教え教えられるという枠を超えた成長をうながしていくにはどうすればいいだろう」
「柔軟に新しいことに対応したり、創造的に解決したり、
自発的にいろんなことをしていくようになるにはどうすればいいだろう」
といった問題を悩みつつ、
解決しています。

何が言いたいのかというと、どんな理論にしろテクニックにしろ、

そこに目標があるわけでも、それが全世界でもなくて、

取りあえず踏まえておくべき基本とか基盤のようなものだ
ということなんです。
もちろん相手が自閉症児であってもです。

話がややこしくなってきたので、いったんABAの話題からそれますね。

子どもを伸ばすためのテクニックって、あっちでもこっちでも溢れていますよね。
子どもは、大人から、より合理的に効果的な結果を出すことを期待されて、
さまざまなテクニックを施されます。

いろんな知識をインプットされることもそうですし、
叱らない受容的な態度で子育てするというのもそうですし、
早期からの習い事、○○式、○○法などもそうです。

そうしたテクニック自体は、どれも一理あるのでしょうし、その方法が合っている子もいるのでしょう。

その良し悪しについて言いたいわけではないのですが、
次のような点で注意が必要だと思っているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
チンパンジーの子って、産まれた時から人間の子と一緒に育てると
4~5才くらいまで、よく似た発達をするそうです。
そこで、チンパンジーの子と、人間の子に、
箱の中に「まる」「しかく」「さんかく」と順番に入れるように
指示する実験をしたそうです。

正確にチンパンジーも人間の子も入れることができ、
何度もするように言うと、何度もしたそうです。

ところが、人間の子は次にこう聞いたそうです。

「なんでこんなことをするの?」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人間の子は、大人が既存のテクニックで接しても、
そうした枠を超えて、自分のしていることの意味を問い、
それをより広い意味を与える視野の中におこうとします。
それほど賢いのです。

でも、それは周囲の大人が
地に足をつけ、今ある広い世界や現実の社会に心を開いてコミットメントして
生きているからこそ可能なことで、

テクニックに適応させることしか見えていない大人のもとだと、
そうした人間の子としての成長が阻害されるのではないでしょうか。

人工的に作られた○○式とか○○法とか、
○○理論とかにがんじがらめになって、
それが『世界』になってしまったら、

「なんでこんなことをするの?」という人間の子にしかない問いは
生まれなくて、
指示された課題を素早くたくさんこなす力だけが、伸びるのではないでしょうか?







写真は、小1の子どもたちと『暗算ゲーム』をしているところです。
1~13までの数が書いてあるラミイキューブの札を何枚か並べて、瞬時に答えを出す遊びです。
最初は2枚からはじめてだんだん数を増やしていってます。
私が「7枚チャレンジしたい人?」「8枚チャレンジしたい人?」と声をかけて、自分から進んでやりたがった子にさせています。
8枚までは「はい!」「はい!」と元気よく全員の手があがっていたのですが、
それを境に、意欲満々に手をあげる子は減っていきます。
必ずしも、計算が得意な子がチャレンジし続けるわけでなく、
計算はそれほど得意ではないけれど
リラックスして、難しい課題にチャレンジしようとする子と、
計算は得意だけど、慎重で失敗を恐れる子もいます。

この日、10枚にチャレンジしたいという2人の1年生が、
「用意、スタート!」で計算していきました。
ひとりの子が先に解答し、答えもあっていました。
もうひとりの子は答えは合っていたけれど、少し時間がかかりました。
時間がかかった方の子にどうやって解いたのかたずねると、
ユニークで新鮮な解き方でした。
12+8とか、13+7とか、20になるものを除外して、残りも10の位がいくつになったのか意識しながら足していき、10の位の数と1の位の数をできるだけすばやく出すようにしたのです。

私は、計算が速かった方の子には、すばやく丁寧に計算できていることを褒めて、
遅かった方の子には、工夫して効率的に解く方法を考えついたことを褒めました。
また、10個の暗算にチャレンジした子たちには、
「負けるかもしれないって怖さを乗り越えて、やってみようって思ったことはそれだけですごいことよ」と褒め、
「9個まででやめておく」と宣言した子には、「自分がどこまでやりたいのか、自分の意志できちんと決断できるのはえらいことよ。」と褒めました。

子どもの行動に対して、具体的に良いところを説明して褒めると、
子どもたちは友だちを尊重して認め合うようになります。
小競り合いこそ、しょっちゅうありますが、
思い切り自分の気持ちをぶつけあった後でも、
すぐに仲直りしていて、いっしょにいるのがうれしくてたまらない様子なのです。

テクニックの話題にこんな話を入れたのは、

『計算速度をあげるために、こういう方法で訓練する』という

○○法‥‥‥という方法に重きを置くと、
こんな場合に、効率的な計算の工夫を編み出すことも、自分で自分のことを決めることも、友だちの良い部分について学ぶことも
なくなってしまうということをお伝えしたかったからです。

私は、単にできるようになることだけでなく、

友だちに親切にわかるように教えてあげること、
友だちから習うこと、
自分の苦手を自分で分析して、どうしたら改善できそうか考えてみること、
しんどいときは、休んでもいいと知っていること、
どんな方法ですると自分のモチベーションがあがるのかいろいろやってみること
など、さまざまな経験をすることが、(それが計算練習であっても)
子どものメタ認知力や発想力、思考力を向上させると感じています。

テクニックは、ひとつの指針となりますし、
実際、役立つものです。
でも、それを使う人の立ち位置は、
テクニックという一本の直線の上でも、
テクニックの世界の中心でもダメで、

それを十分理解し、消化して、
それを基礎、基盤とした上で、
子どもの個性に対応し、さまざまな外の世界の価値観にも開かれた場でなくてはならないのでしょう。

関連記事

edit

CM: 0
TB: --

page top

2013-05